診断がつく時。もうすぐ迫る児童精神科医の受診。
去年9月に療育センターで2回目の発達検査を受けたあとに「児童精神科医の診察」を受ける希望を伝え予約を取った。
約1年待つと言われていたから、その期間の間で成長してくれるかもしてない。という希望と、診察=診断名がつく。という覚悟を持つための期間でもあった。
「診断名」がつくこと
今の療育のケースワーカーさんと初めてお話したときに、「診断名がつくことが重要なのではない。診断名があってもなくても、息子にする支援は変わらない。一番大切なのは、息子に合った良い支援をしていくこと」という言葉をもらって、すごく「ホッ。」としたのを覚えている。
それから息子の成長を見守り、幼稚園と療育で寄り添ってもらい楽しく通い生活できていた。
その中で2回目の発達検査を受けて、総合的に息子の今後を考えた時に、「やっぱり診断名があった方がいいのかもしれない」と考えるようになった。
もちろん、診断されたからと言って親の私たちがやるべきこと、してあげられることを最大限していくのは変わらない。
ただ、身体も大きくなって、年齢が上がっているけれど、行動面や成長はまだ3歳未満のような段階。そんな息子と一緒に行動したりする中で、周りの人に説明する時や、進路を考えていくにあたって、しっかりと医師の診断を受けて、親の私たちも現実として今の息子を知ることは必要だと思った。
ほんとうは避けて通れるのであれば避けたいし、診断名がつくのは嬉しいことではない。
でも、その診断を受けた息子も「大切で可愛い息子」であることに変わりはない。
息子のありのままを受け止めて愛する気持ちはずっと一緒。
パパの思い。自分の気持ちの葛藤と不安。
パパは「診断名がついたって、息子が毎日笑って幸せに過ごせるように、俺らがしてあげることをやる。それは変わらない。息子は息子だ」と堂々と迷いなく言ってくれた。
気持ちは同じ方向に向いている。それはとても大事なことだと、保育士をしていて、色々な家庭を見てきたからこそ知っていた。「両親の考えが一致していること」は子どもの支援をしていく上で重要。
だからその夫の発言に安心した。同時に私の方が迷いや不安があるのかも。と思った。
でも大丈夫。私にはこうやって一緒に前を向いてくれる味方がいる。相談に乗ってくれる友人もいる。共感してくれる人もいる。
「差別」「偏見」の目よりも得られるものを信じて・・・
診断名がつくことで、今までなかった目を向けられることもあるかもしれない。
でも、それよりも診断名があるからこそ受けられる支援や理解もある。
息子がより過ごしやすくなる毎日が広がるという期待を持ち、診断を受けることを受け入れたのは大きい。プラスになることが一つでも多くなることを信じたい。
これからの気持ち。
当日を迎えるまで、当日、診断をくだされる瞬間。周りに報告する時。
きっと色々な感情や思いになると思う。
明るく前を向いて過ごしているタイプではあるけれど、強い訳ではない。
「普通」を求めてしまうこともあると思う。
でも、どんな診断を受けても家族と友人と支えてくれる先生たちや周りの人と共に
ニコニコで過ごす息子の毎日を守っていく。
やるべきことは変わらない。
その時その時の自分の気持ちを隠さず、正直に受け止めて、時々立ち止まりながらも後ろは向かずに過ごしていきたい。